建物と人 : [箱崎九大記憶保存会]
なかしま酒店
ふれあい通りの一画に店を構える「なかしま酒店」。今回はご主人の中嶋孝史さんにお話をうかがいました。
――何代目ですか?
三代目です。
――九大との関わりは?
昔からやってたと思います。祖父から始まって、父のときから配達があった。それぞれ、研究室だったりとか、例えばサークルが優勝したりしたときは三畏閣で打ち上げしてるところに。発表会や懇親会のときは職員会館に持って行ったり。九大のいろんなところに入っていった。昔は普通には入れたけど、今はオートロックというか、鍵がついたりしたので、そのときはお声掛けして開けてもらったりしましたけど。あらゆる学部に持って行ってました。本部にも。今はほとんど配達はなくなった。
今は、教室で飲んではいけなくなったでしょう。ボヤ騒ぎがあったりして。学校で飲むな、っていう形になったんじゃないですかね。今もちょこちょこ行ってますけど。新年会があったりするときは、年末に持って行ったりして。科によっては、お酒の飲み比べとかもしているみたい。お酒の分析も。食品系とか。他にもソフトボール大会とかあった時に持って行ったりしてます。
――何歳くらいの時に継いだ?
23~4歳。大学新卒で、就職してたけど、父が急に亡くなって。母がやってたんですけど。僕でよかったら、と。ずっと親の背中見て育ってきたので、できるかな、と。
――なんか、ご主人が学生だった頃、九大生がよく騒いでいたという話を。
それは、町の特徴なんで、しょうがないでしょうけどね(笑)。よく夜中騒いでた。うるさいというか、歌うたってるな、とか肩組んで歩いてるな、とか。喧嘩してもめてる、とかではなくて。今は学生さんいないでしょう。それを考えると、今は夜が早くなりましたね。
一時期は、24時くらいまで店を開けてた。ほんとは21時閉店だったけど。父が亡くなって私と兄でやってる時がありましたけど、そのとき、22時まで開けてみよう、23時まで開けてみよう、と。24時まで開けていたときもあった。なぜかというと、21時閉店だったのを22時まで開けていると、22時くらいにお客さんがたくさん来ていたから。学生さんが。学生さんって、ほら、二次会ってなかなか、お金もかかるじゃないですか。例えば何人か集まってご飯食べに行こう、飲みに行こうか、って。で、二次会は、お金もないから家飲みにしようかっていう。その時に缶チューハイみたいなのを買って行ったりとか。21時が22時になって22時が23時になって。
それを考えると今は、このあたりは人通りも少なくなって、夜は暗くなるのが早い。この辺りはずらーっとお店が並んでいたけど、今はマンションも立って。うちみたいに店舗が一階だったら明るいけど、駐車場だから。
昔、お昼は通用門のところから人がダーッと来てた。もうすごかったですよ。職員さんなんかは、仕事帰りに角打ちしてたときもあった。お酒を扱う立場からすると、学生さんの町、というよりも職員さん(の存在)が大きかったのかな。学生さんは定食屋さんとかにはたくさんいたと思いますけど。
――九大生のアルバイトがいた?
自動車部の人とかアメフト部の人とか、混声合唱団の人もいたかな。自動車部の人は長かった。よく大会で優勝してきてた。「何もらったの?」って聞いたら「タイヤ」とか(笑)。その方には、僕が高校受験の時に家庭教師をしてもらったこともある。
今はもうアルバイトいないですね。2~3年前までは理学部の子がいたけど。もう就職して。雇えるくらい忙しければいいけど、今はね、家族だけでさせていただいてる。
卒業式のときなんかは(配達が)ほんとすごかった。重たいし、建物は古いし。会場が端っこでエレベーターがないところなんかは。しかも上の階でやるでしょ。冷えてないといけないから、時間との闘い(笑)。弓道部には弓道場に持って行ったり。いろんな伝統があった。三畏閣なんかにはいつもお酒持って行ってた。
箱崎のキャンパスは、(自分が)小さい時からの遊び場だった。配達にもついて行ってた。おばあちゃんと一緒に歩いて銀杏ひろいに行ったり。うちの子どもも、自転車の補助輪とる練習は、キャンパスでしたり。広いし安全だから。記念講堂の前で弁当買ってお昼食べたり。(自分が)大人になってからは、春の桜を見に行ったりとか、お気に入りの場所を見つけたりして。
――移転について。九大がなくなることによって町が大きく変わっていくんじゃないかな、と思うんですけど。
俗にいう、昭和の時代はよかった、っていうじゃないですか。当時学生さんを相手にしてた方は、やはりどこかで学生さんを応援していたと思う。今はね、苦労している学生さんはなかなか見ないですけど、実際大変なんでしょうけど。昔は「苦学生」という言葉があったり、特に九大生はお金持っていない、とか。だからがんばってほしい、というか。がんばってほしいから定食大盛りサービスしたり。まだ温かったというか。
今は時間だけがどんどん流れて行っているので、お付き合いもなく。もちろん立派な学生さんはたくさんいらっしゃるんでしょうけど。日常的に接することがだんだん少なっていって。だからそれくらいかな、寂しいというのは。決まったことなんでしょうがないですけど。あの頃はよかったよね、って、昔のことが思い出になっていく。だからそこの交差点でもいいから、風化していかないように、名前が残ってくれればいいなと思う。何か形が残ればいいなとは個人的に思う。その頃を知っている人間としては、そう思いますね。
時代が変わったというのがあると思いますけど、昔は、(町に)一体感のようなものがあった。今はパラパラパラっと、1人で大都会で歩いているような、なんか、静かになったかなって。
もうだいぶ前ですけど、「昔よく買いに来てた」とか「瓶ケース持ってきてもらってました」とか言ってきてくれる人とか、卒業の時期になると、教授に手土産買って行ったりする人とか、そういうのは、なんかうれしいですよね。
――私たちも、卒業して帰ってくる場所が箱崎にはなくなっちゃうわけなので、なんか、場所、拠点、懐かしんで帰ってこれる場所があればいいなって。
街に、ここは変わったけど、ここは変わってないね、っていう場所があればいいけどね。箱崎に九大があったという形に、記念館のようなものが伊都キャンパスにできれば。こっちに残すのではなくて、こっちにあったものを向こうで一部展示できるようなことがあればいいのではないか。そうすると、帰って来た時に箱崎に来なくても思い出が見れれば。
冊子「箱崎」(2018年4月)より
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