建物と人 : [箱崎九大記憶保存会]
きんしゃいきゃんぱす
箱崎のきんしゃい通りでは夕方になると、子どもたちの賑やかな遊び声が聞こえる。
「きんしゃいきゃんぱす」はもう箱崎ではおなじみの子どもたちの遊び場だ。「きんしゃいきゃんぱす」は2004年に地域に開かれた研究室の分室として誕生し、かき氷の販売などを行う中で子どもたちの遊び場として定着していった。2005年からは研究室から独立した活動となり、九州大学が移転した2018年以降も子どもたちの遊び場として開かれている。今回の取材では、子どもたちとの遊びの空間に参加させてもらった後に、代表の山下智也さんと元「常連」だった長谷川康平さんにお話を伺った。
子どもたちの居場所を守る緩やかな空間
「きんしゃいきゃんぱす」では、ゆったりとした時間が流れ、とても自由な空間が広がっている。遊び場といっても遊びのメニューのようなものはなく、公園に遊びに行く子どももいれば、ずっとお喋りをしている子どももいる。年によって雰囲気が全然違うといい、日によっても雰囲気が異なるという。「みんなで遊ぶ」ということが求められるような雰囲気も全くない。
「何か大人が変に関わりすぎて『みんなで遊びましょう』とか『ちゃんとしてください』とか、しつけみたいにしたいわけではないので、管理されている場所になっちゃうと結局学校の延長だったりとかになってしまうから。できるだけ子どもたちが自分の場所って思えるような自由な使い方をできるように、というのが目的というか願い。」と語る山下さんだが、その空間に込められた思いを、次のように話してくれた。
「やっぱり今、子どもたちの場ってなったら、全部管理が問われたり責任が問われたり、そういう中で過ごしているっていうことが多くて、子どもたちが置かれている環境って結構厳しい状況にあるから、せめて、子どもたちが遊ぶ放課後の時間ぐらいは緩やかにと思って。」
子どもたちの居場所がなくなりつつある現在、「きんしゃいきゃんぱす」は緩やかな雰囲気で子どもたちの遊ぶ空間を守っている。商店街の通りには車や自転車が通ることもあり、ぶつかりそうになってしまうこともある。もちろん、命にかかわるような危険については子どもたちを注意するというが、何でも注意をして止めさせるのではなく、街の人から叱られる経験など、様々な経験の中から学んでいくことを大事にしているという。山下さんは、「どこかで覚悟決めてやらないとね。みんな事故や怪我が怖いからといって、こういう活動がなくなっていくと、ますます子どもは遊ぶ場所がなくなっちゃうから」と力強く語っていた。
自然な関係性づくり
「きんしゃいきゃんぱす」では子どもたちに「遊びにおいで」という呼びかけやチラシ配りなどはしていない。子どもたちを預かるというスタンスではなく、勝手に開けている場所に子どもたちが勝手に遊びに来て勝手に帰っていく、という中での自然なコミュニケーションを大切にしている。同様にスタッフも「箱崎に住んでいる一員」として遊びに来るという感覚を大事にしているといい、スタッフの募集や、決まりごとを守らせるようなスタッフの育成などはしていない。むしろスタッフのほうが「常連」の子どもたちから場所の使い方について教わることもあるという。山下さんは、「箱崎で、箱崎のおっちゃん・おばちゃん達に、学生さんがしとることやけん大目に見てやろうよっていう雰囲気の中で育てられているし、彼らのお父さんお母さんともすごく仲良くなって色々面倒見てもらっているからできていることだから、改まってやることじゃなく、自然なコミュニケーションができる関係でやろうかな」と話す。自然な関係性のなかで子どもにとってもスタッフの大人にとっても心地よい居場所が作られている。
大学の移転と「きんしゃいきゃんぱす」
もともと九州大学の研究室から生まれた活動である「きんしゃいきゃんぱす」だが、九州大学が箱崎から移転することの影響はなかったのだろうか。実際に、「あなたたちも向こう(伊都)に行くんですか」とよく聞かれた時期もあったという。元「常連」だった長谷川さんも「きんしゃいきゃんぱす」が無くなってしまうのではないかと思ったというが、「でも無くなったら、今の小学生はどこで遊ぶんだろうっていう気持ちにはなったし、あって当たり前」な存在になっていたという。
そのように、既に子どもたちにとって欠かせない存在になっていた「きんしゃいきゃんぱす」が箱崎から動くという選択は無かった。山下さんは、「きんしゃいきゃんぱすを始めた2~3年は、『学生さんがやることやけん、どうせおらんくなるっちゃろ』みたいな感じで思われていたと思うけど、そういうわけにはいかないじゃん。伝統というか、大事に守ってきているものってあるはずで、学生だからいずれいなくなるじゃなくて、残していく力を持っているんだっていうところは、自分としてはこだわっていたところもあるかな。」と話す。始まった当初は「九大生がやっている場所」だと思われていたというが、活動を続ける中で地域に馴染んでいき、「きんしゃいきゃんぱす」という存在が地域のなかにも浸透していった。
変化する街と地域への愛着
大学の移転が進むとともに、商店街のお店が少なくなったり、マンションが増えたりと大きく変化している箱崎の街。日頃から商店街の中で遊ぶ「きんしゃいきゃんぱす」の子どもたちは、「商店街のお店が減って悲しい、寂しい」と話すことがあるのだという。山下さんは、「子どもたちが『あんなに遊んでたお店が減っちゃったな、寂しい』って思えたのは、子どもが箱崎で住んでて、生きてて、箱崎に愛着が持てているからでしょ。子どもが自分が住んでいる街に愛着を持てるってすごく大事なことだと思うから、そのきっかけというか土台というか足がかりみたいなのに、『きんしゃいきゃんぱす』がなれれば良いなという思いは持っている。」と話す。
「きんしゃいきゃんぱす」の存在が地域や商店街と子どもたちをつなぐ役割を果たしていること、またそこから子どもたちに地域への愛着が生まれていることがよく分かる。これからも、変化していく地域のなかで、「きんしゃいきゃんぱす」は子どもたちの居場所を守り続けていくのだろう。
冊子「はこざきのはなしVol.1」(2019年5月)より
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